2013年1月29日火曜日

原発事故雑感

まもなくあの大震災、原発事故から2年目を迎えます。
ある意味では福島県の被災者の人達が一番大変なのかなとも思います。

浜通りの人達は津波の被害に遭い、さらに原発事故が追い打ちをかけています。
歴史に残る大事故です。

みちのく東北の歴史と今回の事故とを自分の頭の中でいろいろと思い巡らしてみました。
折しも、NHKの大河ドラマで「八重の桜」の放映も始まりました。
当時、都から遠く離れた東北は戎夷(えみし)とよばれた原住民がおり、のちに坂上田村麻呂によって平定され蝦夷は北海道に追われた。
また岩手の平泉に勢力を伸ばしていた藤原一族と東北に力のあった豪族達は源頼朝の鎌倉軍と戦い、滅ぼされている。ここ福島一円に勢力のあった佐藤一族は源平の戦い、屋島の合戦で敗れている。

そして、今回のドラマの舞台になっている戊辰戦争です。いまでも会津の人達はこの前の戦とは太平洋戦争ではなく会津戦争を言うとよく聞きます。それだけ悲惨な戦争だったものと思われます。
この戦いは白河城(小峰城)、二本松城(霞が城)など県内の諸城も落城しています。

いわゆる、東北は平定された歴史と見てしまいます。
今回の事故は貧しい東北に20世紀の新産業、原発基地を作り雇用や新産業の創造を図ったものと思われます。このような事故が起こった場合犠牲になるのは立地に住む住民です。
多くの火力発電所が東京湾に立地しているのに放射性物質の危険と裏腹にあった原発は福島に作りました。万一の事故を想定しなかったはずはありません。経済的に貧しかった地域に経済活性を導入したと考えられます。
しかも、国内の原発の20%が福島にあったとは知りませんでした。

日本の戦後の経済発展に寄与してきた原発、福島は今、この犠牲になったと考えてしまうのはあながち間違いとも言えないと思うのですが・・・・・
この事故の修復は国が責任をもって早急に取り組むのは当然のことは云うまでもありません。
いつ帰れるともわからない原発周辺の避難者の人達の気持ちを思うととてもやるせなくなってしまいます。

2013年1月17日木曜日

加温桃ハウスの被覆

今年で17年目を迎えます。今日、加温ハウスのビニールの被覆を行いました。
今年の冬はことのほか寒さが厳しく穏やかな日が少なくて苦労しました。
いつもお世話になっている平野地区の皆さんに作業してもらい今日一日で終了することができました。ここのハウスからは何度かTV放映もされて福島桃のPRにもなったのではと思っています。
今後も出来る限りは続けていきたいと思っています。

2013年1月1日火曜日

賀春

明けましておめでとうございます。
素晴らしい元日の朝を迎えました。
自宅前の稜線から上る初日の出に静かに手を合わせ今年一年の安泰をお祈りしました。
大晦日の夜には雪も舞いうっすらと雪化粧しました。

大震災と原発事故に伴う後遺症は現在も進行しています。
住んでいた家、家族、町を失くし、原発地域に住んでいた人たちは住み慣れたふるさとを離れ、今も仮設住宅での生活です。
原発に不安を感じていたとしてもこのような現実になるとは思ってもいなかったと思います。

事故から2年近くたって報道の回数は減ってきても本当の状況は伝わっていないのではと感じます。汚染されている福島で農業を続けることへ批判する人もあることです。
いわゆる風評被害です。(本当は安全なのにうわさや不安を感じてものを買わない行動)
これにはJAや農家だけの自助努力だけではどうしようもない面があり、やはり国が主導で取り組むことの必要を感じています。

今年も天候に恵まれて、美味しい果物が生産され、また多くの皆さんに供給できることを期待しております。